淋しい・・・
2008年 04月 09日
春休み、終わり!
張り切って登園したカナ。担任は昨年度から持ち上がりでなんとなく「ほっ」(^^)
カナのいいとこ、悪いとこ(改善すべきとこ)をよくわかってる先生で、カナも「また○○先生がいいなあ」と言っていたのです。
しばらくは、午前中だけで帰ってきますが、年長さんのおねえちゃんというポジションに、張り切ってるカナです。
そんななかで、私の心のある一点がなかなか晴れてくれません・・・。
私の実家は車で20分くらいの、隣りの区にあります。
これが実家。と言っても、無人です。
弟夫婦が同居する時に、狭い道路をはさんだ向かいに新築したのでそこが一応実家ということになります。
でも、私が35年過ごした家は、この旧宅なんですよね。
その旧宅。人が住んでない家は老朽の速度が速いです。
瓦が落ちたり雨漏りしたり、少し傾いたり。
近所の方に何かあってからでは遅い、ってことで壊すことになったと連絡がありました。
こないだ行ったら瓦は全部はずされ、サッシの枠もなくなり、壁も崩され・・・。
想像してた以上に作業が早くてショックでした。
昔ながらの農家の家です。
茶の間の中に階段があって、囲炉裏を切ってるから天井が高くて廊下がない。
2階に父母の部屋と私、弟、妹の部屋がありましたが、元々は葉タバコの作業場だったそうです。
大きな樽に手づくりの味噌を入れて《味噌部屋》と呼んでた蔵のようなところに仕舞って熟成させてました。
夜中になると、天井裏をタタタとねずみが駆け回る音が聞こえたり、床下に猫が住み着いたこともありました。
私にとっての実家はここ。なので、淋しくて涙が出そうです。
持って来れたのは服を少しと本を少し。
ネガフィルムの束と小学校や中学校の卒業文集など。
そして、なぜか私の名前が付いてたカンテラ。
なんで私の名前が付いてたのかは、なぞです(笑)
たぶん昔の暮らしを知る資料として、学校に持って行ったんじゃなかったかな、と思いますが。
これは、亡くなった祖父のゴーグル。
祖父は戦争の時、飛行機乗りでした。南方ではジャングルの中で蛇を食べて空腹を凌いだとかいう話をしてくれました。
これは、戦争の名残。
こんなちゃちな造りのゴーグルで飛行機に乗ってたなんて・・・と驚きました。
従弟が祖父の血なのか飛行機好きで、セスナのライセンスまで取ったヤツで(笑)これを持っていたい、というので従弟にあげることにしました。
あとは、持ち出せませんでした。
「アレもコレも」と思ってたのですが。残念ですが、しかたないですね。
祖母の形見の着物や、母の嫁入りの時の帯などは随分前にうちに持ってきてたのでよかったなあ、と思います。
真っ黒な梁や柱。あの階段。どれか一つでも持ってこれたらなあ・・・。
くどいですが、本当の実家はこの古い家なのです。淋しいです。せつないです。
今度実家に行く時は、もう更地になってるんだろうなあ。
時を同じくして、叔母が20数年住んだ家を引き払うことに。息子夫婦と同居することになりました。
それはそれでいいことなんですけど、人手に渡りリフォームされてしまうそうです。
叔父(既に他界してますが)と叔母は「こういう夫婦になりたい」という目標のような存在で居心地のいい家でした。
親に言えない、言い辛い話も聞いてもらいました。
もう一つの実家みたいな存在でした。
いっぺんに二つの《家》が無くなる・・・淋しいです。
張り切って登園したカナ。担任は昨年度から持ち上がりでなんとなく「ほっ」(^^)
カナのいいとこ、悪いとこ(改善すべきとこ)をよくわかってる先生で、カナも「また○○先生がいいなあ」と言っていたのです。
しばらくは、午前中だけで帰ってきますが、年長さんのおねえちゃんというポジションに、張り切ってるカナです。
そんななかで、私の心のある一点がなかなか晴れてくれません・・・。
私の実家は車で20分くらいの、隣りの区にあります。
これが実家。と言っても、無人です。
弟夫婦が同居する時に、狭い道路をはさんだ向かいに新築したのでそこが一応実家ということになります。
でも、私が35年過ごした家は、この旧宅なんですよね。
その旧宅。人が住んでない家は老朽の速度が速いです。
瓦が落ちたり雨漏りしたり、少し傾いたり。
近所の方に何かあってからでは遅い、ってことで壊すことになったと連絡がありました。
こないだ行ったら瓦は全部はずされ、サッシの枠もなくなり、壁も崩され・・・。
想像してた以上に作業が早くてショックでした。
昔ながらの農家の家です。
茶の間の中に階段があって、囲炉裏を切ってるから天井が高くて廊下がない。
2階に父母の部屋と私、弟、妹の部屋がありましたが、元々は葉タバコの作業場だったそうです。
大きな樽に手づくりの味噌を入れて《味噌部屋》と呼んでた蔵のようなところに仕舞って熟成させてました。
夜中になると、天井裏をタタタとねずみが駆け回る音が聞こえたり、床下に猫が住み着いたこともありました。
私にとっての実家はここ。なので、淋しくて涙が出そうです。
持って来れたのは服を少しと本を少し。
ネガフィルムの束と小学校や中学校の卒業文集など。
そして、なぜか私の名前が付いてたカンテラ。
なんで私の名前が付いてたのかは、なぞです(笑)
たぶん昔の暮らしを知る資料として、学校に持って行ったんじゃなかったかな、と思いますが。
これは、亡くなった祖父のゴーグル。
祖父は戦争の時、飛行機乗りでした。南方ではジャングルの中で蛇を食べて空腹を凌いだとかいう話をしてくれました。
これは、戦争の名残。
こんなちゃちな造りのゴーグルで飛行機に乗ってたなんて・・・と驚きました。
従弟が祖父の血なのか飛行機好きで、セスナのライセンスまで取ったヤツで(笑)これを持っていたい、というので従弟にあげることにしました。
あとは、持ち出せませんでした。
「アレもコレも」と思ってたのですが。残念ですが、しかたないですね。
祖母の形見の着物や、母の嫁入りの時の帯などは随分前にうちに持ってきてたのでよかったなあ、と思います。
真っ黒な梁や柱。あの階段。どれか一つでも持ってこれたらなあ・・・。
くどいですが、本当の実家はこの古い家なのです。淋しいです。せつないです。
今度実家に行く時は、もう更地になってるんだろうなあ。
時を同じくして、叔母が20数年住んだ家を引き払うことに。息子夫婦と同居することになりました。
それはそれでいいことなんですけど、人手に渡りリフォームされてしまうそうです。
叔父(既に他界してますが)と叔母は「こういう夫婦になりたい」という目標のような存在で居心地のいい家でした。
親に言えない、言い辛い話も聞いてもらいました。
もう一つの実家みたいな存在でした。
いっぺんに二つの《家》が無くなる・・・淋しいです。
by 1000_no_ao | 2008-04-09 22:25